自習出来る力

自習(じしゅう)とは、直接の指導を受けずに、自分の力で学習すること、特に、学校へ行ったり、指導者から学んだりする中で、与えられた課題などを自分の力で学習をすることである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%BF%92

最近、この力が本当に必要だと思ってる。

学ぼうとして、今や子供達もスマホを持つ時代。

知りたいことは、Googleで検索すれば一発で出てくる。

情報が足りないなんて、言えない世の中。

調べれない事、学べないことはほぼない。

大人も同じである。

大人が自学、自習する習慣が無ければ、子供も学びは受動的だと感じると思う。だって、学びって学校行くことでしょ?塾行くことでしょ?ってなるから….

そんな受動的なものが学びだとしたら、その責任を違う方に捉える人もいるんじゃないかな?

学校が悪い、先生が悪い、誰かのせいや、環境、社会のせいにしてしまえばいいからね〜

でも、結局学びって、自分のためだし、自分自身で体験する際に必要なもの。

だから、能動的にまず何をやりたいのか? 何を知りたいのか?

そういう、主体的なマインドが必要で、そういう人は学びを日常的にとらえているので、常に自学、自習出来る。というわけだ….

なぜ、自習自学が出来る事が大事かと言うと….

AI もそうやって機械学習し、ディーブラーニングして、自ら学んでいるのだ。

ただ、AI はそこに自意識や感情、五感で感じる人の感性を持ち合わせていない。

何かを得ることのワクワクドキドキ感、達成感や他者貢献、人が持ち合わせるものを持っていない。

自分自身がどう生きるのか?

生きることを目的としていない。

僕らにはやりたいことがきっとあるはず。

それは、何でも良い。好きなことで大丈夫。

今は、好きなことでも食べれる時代。好きから学ぶのだ。

自分の人生だ。自分の時間だ。

誰のものでもない。

だからこそ、自分で生き、自分の好きを大事に、学ぶ力、を身に着けよう。

知識を沢山持つことではない。

その知識から何を活かすのか?

もう、そういう時代なのだ….

だから、自分の人生のために自習出来る人こそ、イチローさんも話していたけど、自分自身で自律出来る人が大事なのだ。誰かに厳しく言われてやるものではない。

自らの意思で、体感し、体験し、また学んでいく。

その結果の勝ち負けや、立ち位置や、カーストの順位ではない。

もはや、そこに意味がなく、自分が自分のコンテンツ、チャンネルとして、発信出来る強さが必要で、終身雇用もなくなりつつある今。

自分らしい生き方ってなんなんだろうか?

さぁ、ワクワクの為に学んでいこう!!!


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