無駄を削ぎ落とす

おはようございます。中嶋です。

禅を只今学び中です。とても興味深く面白いですね。

母方のお寺さんは、曹洞宗なので禅はしっかり学び得ているはずなのですが、今は葬式仏教になってしまい、お葬式だけ、亡くなった後にだけに関わるものになっていることが大半ですね。だから、なんにも僕は知りません。

父方は、真言宗なのですが、真言宗の話を聞いたことはありません。

義母が亡くなった時は、それこそ無宗教なので空いていたお寺さんに来てもらいました。その時が浄土真宗の方で、親鸞さんの事を自分で少し調べました。

お葬式って人生の終わりを告げる式なのに、何だか実はイベント的な式になっていて、その本質はあまり誰も知らないし分からないってのが現実で….

その宗派の流れや思想もわかないまま、お葬式や法事の時だけただただ触れるぐらいの感じでは?無いでしょうか?

そんな中、私は哲学者でもないし、無宗教のような感じですが、あのスティーブ・ジョブズは禅を興味深く取り入れ、自分の製品にも反映させた事実もあります。

禅語を少し学ぶと、色んな生活の中にも実は影響されていたりすることが分かります。

玄関ってのも禅の話みたいですし、選挙や入試の時のだるまさんなんて、達磨大師の事だし、であれば今の時代の僕らにも何らかに繋げられるのではないか?

と、思うのです。

コーチの仕事として、禅の話だけではなく、その思考や考え方をトレーニングやプレーに僕らは影響させれるのではないか? という事。

最近、ブラジルの選手たちのプレーを興味深く観ていますが、ボールタッチに無駄がないのです。

最適なタッチ数でプレーする姿は、シンプルに成果を出している姿なのです。

ブラジルの選手すべてがネイマールでは無いし、ネイマールだって彼が出来る最適なプレーをただやっているのです。

一人に一個ボールを与えられながら育っている日本環境、フットボールだけでなく色んな世界でそういう有りすぎた環境があります。ボールがあるから上手くなっていると思ってはないでしょうか?良いスパイクを履いたから? そんなチームに入っているから? それだけで何か成し遂げたような感覚を生み出してないでしょうか??

そして、失敗に対してとてもネガティブに感じ取る環境もあります。

だから、どうしても決断に遅れや、ミスをしない準備をしてしまう傾向があると思うのです。

技術のエラーをしないように準備し、プレーの本質の所、ゲームの意図の中に技術を活かせないのです。

失敗しないために、勉強して良い学校に生きなさい

そんな事を小さい頃から言われ続けてきてないでしょうか?

心理的なもの、環境的なもの、色んな影響もあると思います。

戦術的な理解やゲームに対しても理解も関係すると思います。

もし、失敗を恐れず、プレーに対してネガティブに捉えず、今最適なアクションに繋げることが出来たら?

そして、環境も足りないぐらい、シンプルなぐらい、取り扱い説明書も無いiPhoneから試行錯誤するような環境から、育つことって沢山あるように思うのです。

取扱説明書が無いから、人に聞く、誰かから学ぶ、知恵や工夫を自分なりに得ながら、自分の最適な使い方をするのがiPhoneです。

先ず触ってみる、押してみる、聞いてみる、そしてたまに失敗して学んでいき、自分仕様にすべて変わる。

そんな、シンプルで尚且自分らしさを出していけるような選手を育てていくことが大事なんじゃないかな?と、最近思っています。

ではでは!!


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