僕は常々、少年サッカーに必要なのは学級全員リレーだと話している。
チーム(学級の一員)であれば全員が任された順番を走る。
そりゃ、足が速い子も居れば、そうでない子も居る。
だから、上手く支え合うことが大事なのだ。
順番も戦略となるし、速いから遅いからで勝負するのではなく、みんなで必ず走り、助け合う事に意味がある。
少年期のサッカーも同じだろう。
170cm近い子も居れば、130cm代の子も居る。
サッカー年齢が6才(1年生からスタートした子)の子も居れば、最近スパイクを履き出した子も居る。
リフティングが出来ない子も居れば、できる子も居る。
ドリブルが上手い子も居れば、パスが上手い子も居るし、身体が強い子も居れば、賢い子も居る。
色んな状況の選手が、そのチームの中で試行錯誤することに僕は意味があると思ってて、そういうコンテクストを理解し、プレーが出来るようになる大事な時期だと思っている。
ゲームを楽しむ事。
ゲームで学ぶこと。ゲームで体験すること。
頼ったり、助けられたり、自分の力を精一杯発揮したり、ゲームの中にあるコンテクストを楽しむのだ。
ハラハラしたり、競い合ったり、時にコケてしまったり、バトン落としたり、
シュートが中々決まらなかったり、ゲームの流れを掴めなかったり、思い切ったプレーが成功したり、仲間のゴールを喜んだり、勇敢さを見せたり、出来ないことが出来るようになったり、そんな沢山のことがゲームにあるのだ。
上手いとか下手とか、強いとか弱いとかではなく、そのメンバーでどう勝つか?に集団ゲームの楽しさがある。
僕は、それを感じてほしいから、試合には全員出せるようにしてあげたいと思う。
よし、このメンバーでどう勝つか? どう振る舞うか?
そんなゲームの楽しさを感じてほしいと思ってる。
だからこそ、上手く行かないことも大事だし、誰かを支えることも大事だし、ちょっとやれる子は引っ張っていく存在になるのも大事だし、そこから上手くなりたいと思う気持ちが芽生えることも大事。
でも、どうだろう?
勝ちたいがために、足が遅い子を休ませて走らせないって作戦を考える先生がいたら??
勝つことが全てだと、そういう選手を排除していたら?
そんな時に、子どもたちはどう反応するのだろうか?
これが試合であればどうだろうか?
上手くないからと、そういう選手を使わなかったら?
果たして、それで勝ったとしても、誰かがプレーしないゲームに子供はどう感じるだろうか?
競技者として、上のカテゴリーに行けばいくほど、そりゃ競争も激しくなるだろう。
であれば、せめて小学校年代ぐらいは、違う競争を楽しませてもいいんじゃないのかな?
でなければ、そういうフットボールの本質を楽しむっていつやんの??
と、思ったりするのです。
でも、大人は選抜リレーが好きなのか…. 輝かしい結果が欲しいのか….
そういう所にいる自分の息子が好きなのか?
脚が速いやつだけで走りたがる。走りたがせる。
親もそういう所に入る自分の子供が誇らしいのか、そういう場所に入れたがる。
そりゃあね、算数的な速さで勝てるのは簡単である。
でも、その戦いだと、そのグループも次のステージで算数的な速さの戦いで負ける。
ゲームの勝因がそこにしかないと固執してしまうと、大事なものが見えなくなる。
玉子焼きを食べたいのに、冷蔵庫に卵が無いと作れないと立ち止まるタイプになってしまう。
ゲームはここからなのに….
学級全員リレーには沢山の力の結集がある。
もしかしたら、色んなドラマもあるかもしれない。
青春ドラマになるぐらいの物語もあるだろう。
練習では勝ってたチームがアクシデントで負けることもあるし、作戦を変えてきたチームが勝つこともあるし、そんな色んな出来事と同じようなことを僕は少年時代に沢山学び感じ取ってほしいなぁと思う。
大人は華やかな選抜リレーが好きなのかもしれないけど、僕は学級全員リレーの方が色んな魅力や面白さが沢山詰まっていて子供の学びにはとても必要だと思っています。そこにあるドラマや工夫、葛藤やチャレンジ、助け合う姿、これこそが本来のチームスポーツとしてのあり方だし、チームスポーツをする選手が学ぶべきもの。
なので、また次の試合も役割を与え、選手の試行錯誤にも耳を傾け、色んな試合から学び感じ取ってくれたらそれが一番だと思っています。
足が速い遅い、プレーが上手い下手関係なく、仲間の為にに自分の力を精一杯発揮できる選手。
になるように、少年時代はゲームを楽しんでほしいと思っています。
さぁ、どんな場所でも、どんな仲間でも、どんな時間でも、ゲームを楽しもう。
そんなゲームを仲間と楽しめるマインドがあれば、どこででもプレーが出来る。
フットボールの入り口だからこそ、大人が大事なものを見失わないようにしないとね!!
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