意思決定の際に、様々な選択の中から解を選ばなくてはいけない。
そんな時に、最善の解を選択していく。
ん?最善ってなんだ?
執る行為につき可能性のある中で最もよいこと。
可能性のある中で最も良いこと。
前にも書いたけど、最も良いは動機や目標で大きく異る。
例えばこのシーン。
指導していたRDの試合。
九州リーグの大事な局面。
試合の勝利で考えれば、最善の解はゴールを決めること。
将棋みたいに、AIが打つ手を予測したら、間違いなく一番にそう出てくるだろう。
でも、僕は常々色んなカテゴリーで話していることだが、試合に勝つ事も大事だけど、勝者に相応しい態度や言動行動をしていくことがそれに近づく一番大事なことと…
勝つことが動機や目標ではなく、勝者に相応しい態度や行動、言動を正しく誠実にしているのか?が目標や動機であれば、この選択は当たり前の話である。
試合相手が傷んで倒れているのに、プレーを続けるっていうのは勝者の態度ではない。
どう勝つか?
これこそが、目指すべきゴールなのだ。
RDのその後の結果はご存じの方は多いだろう。
これは、RDだけでなくエスタジ佐世保にも求めるし、子どもたちにもそれは求める。
勝つことだけに何の意味も価値も無い。
せいぜい、新聞に載ったり、少しの自慢話になるぐらいだろう。
全国大会、ここ数年色んなカテゴリーで僕は行ったことあるけど、じゃ僕のなにかに大きく変化があるわけではない。
大金持ちになることも無いし、誰かがすごーいって褒め称えるわけではない。
それ自体は一種のイベントにしかならない。
でも、大事なのはどうやって勝ってきたのか?
僕自体は、RDの時の試行錯誤こそ財産だし、エスタジでのチャレンジしてきたものこそ財産だし、今も新しいやり方を試せる日々が、結果を出して手に入れたもの。
要は、最善の解ってもっともっと深い所にあり、その局面のそのシーンだけでいないってこと。
解を出すときに、自分自身が正しく解を出しているのか?
COPA PAULISTA
優勝した試合のあと、You Tubeで流れてきたライブ映像に、水びたしになった床をモップで拭き取る息子の姿が映った。
その後、スタッフが即されモップを渡すけど、ブラジルと言う異国の地で、優勝したあとで、自分がやれることをやっている姿を観てそのメダルよりも誇らしかった。
動画で流れてるなんて知らないだろうし、そんな中で何が正しいかを行動に移せる事。
何が勝ち負けか分からない。
それでも、勝った時に相応しい態度、行動、言動が出来る人、選手で居て欲しいと思う。
僕は、自分のチームには必ずそう伝えている。
勝つことは簡単、でも勝者に相応しい人って観られることは、全てにおいて信頼され愛されるような人であることだと思う。
それでも、違いはあるだろう。
目先の勝つこと、成功のみが欲しい人が悪いのではない。
そういう評価で生きていくこともあるだろうし….
ただ、僕が思う最善の解は、その表面の選択肢だけ見えてるわけではないと思ってる。
正しい、誠実な選択の積み重ねこそ、僕は大きな成長や成功に繋がると信じているし、実際、そうでないと中々勝つことは難しいと実感してる。
AIみたいに、その将棋盤の中にある代替案の中から最善の解を選んでいては、藤井聡太くんにはなれないと言うこと。
最善の手が、最善の解が何なのか?
AIが言うからって、それを最善と思っていませんか??
今一度、何が最善なのか?
今の時代だからこそ、もう一度考えていかないといけないと思います。
意思決定のための「分析の技術」
是非、意思決定を深めて観ませんか?
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