シンセサイザーを扱っていた頃、アナログシンセの深みがとても好きだった。
僕は、JUPITER6ってのを持ってて、要は音をツマミで変えていくのだ。
動画でもあるように、瞬時に音を手動で変えていく。
必要な音を必要に応じて合わせていくのだ。
慣れると、すぐに欲しい音を創れる。
なので、その音の深みが好きな人は多い。
因みに、中古でも売れるようでこの前調べたら47万円ぐらいに高騰してた(僕は17万で買ったのに 笑)
古き良きものとはこういう物の事だね〜
一方、デジタルのシンセサイザーだと、その中にもうセットされてて、音をイジる事が出来るけど中に入り込んで調整しなければいけず、作った後はボタン一つになるけどその瞬間には変えることは中々難しい。
決められたこと、決められた音を準備して出すのは簡単だけど、アナログで合わせて変化させる事が出来ないんだよね。
さて、今オンラインで沢山の学びが行われている。
僕もだけど、オンライン、所謂、デジタルに触れることが今はとても多い。
このブログもデシタルを通じて、皆さんの目に届く。
汚い字ではなく、整理されたフォントで皆さんに届けられる。
デジタルに慣れすぎると、それが当たり前になり、そこのボタンを押すこと。
で、その音が出るというのに良くも悪くも慣れてしまうこと。
iPhone、Wi-Fi、LINEにZOOM、色んなデジタル、そしてオンラインでの繋がりや伝わり方になる。
オンライン、デジタルの中にだけ正解を求めてしまいがちになるのではないかなぁと思ってる。
スポーツは、観ての通りとてもアナログ的なものである。
人が自分の体を動かし、決断し、プレーする。
でも、テレビやネット、動画配信なのでとてもデジタル的なものとして変に捉えがちになっているのだ。
所謂、オフラインの出来事がオンラインとして、アナログなプレーがデジタルなプレーと錯覚してしまいがちになる。
本来、スポーツはアナログ的なもので、このツマミを少しこうすれば? そんな意識から積み重ねたメモリーがその指をそのツマミを上げ下げする。
これこそがスポーツだと思う。
デレビには、デジタル的な動画としてそのプレーは映し出すが、その時の心理的なもの、ツマミの調整、出た音(プレー)は、アナログ的なやつなのだ。
それは、僕らコーチもそうで…
デジタルで切った動画で学んだとしても、選手にはとてもアナログ的な対応が求められる。
指導法や戦術的な行為、色んな情報をオンラインで学んだとしても、多くの指導はオフラインな形での指導になる。
簡単にデジタル、オンラインで学べたとしても、トレーニング、試合にはアナログ的なアプローチが多く生まれてくる。
この状況…. 勝つのはとても難しい状況で、監督としてタイムアウトでどんな言葉をかけるべきか?
本当にアナログ的な自分の伝えたいことをツマミから引き出す力がとても必要になるんだよね。
デジタルに慣れすぎると、ボタンを押すことで解決出来ることが多々あるし、検索して引っ張り出せば参考となる動画もすぐに手に入る。
でも、ゲームはアナログなオフラインで行うもの。
トレーニングも同じで、予定してないものも訪れることも多々。
僕らアマチュアチームの監督は、選手がその日に何人揃うのか?仕事の都合で分からないものだ…
それでも、デジタルを駆使して創り出したトレーニングに、アナログ的な調整をしながらも、良いトレーニング、良い音、良い音楽を創り出さなくてはいけない。
僕も施設利用が出来なくなり、また休校や感染者が増えてきたことも考慮し、いよいよ活動が休止になった。
トレーニングが出来ない分、ZOOM 等で配信して活動する予定なんだけど、心配なのはそのアナログ的な感覚をトレーニングやゲームで体感出来ないことなんだよね…
人は日に日に感情も変わるし、生きているわけで、デジタルのスイッチだけでは出来ないことも多々あり、そういう変化にアナログ的に接する機会から遠ざかる事…. それが今とても心配している…
デシタルでどれだけ学んでも、アナログ的なアウトプット、トレーニング環境、ゲームでの振る舞い、その機会がこそが実は自分を成長させてくれると思ってる。
それでも、デジタルがあるからこそこうやって違う機会やアナログでは体感出来ないものも沢山手に出来ているのも事実。
この機会に、デジタルから得られるもの。アナログを改めて見つめ直すこと。
そういう機会が今だと思う。
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