自分の三角形

こんにちは、中嶋です。

子供の頃だったら、この時期夏休みの宿題がひしひしとプレッシャーを掛けてくる頃でしたね。

僕は、結局計画的に早く終わらせるとか出来るタイプではなかったので、まぁドシドシと終わらせない不安やプレッシャーが襲い掛かるわけですよ。

同じように生きていくと、仕事の締切とか僕で言うと試合のプレッシャーとかが押し寄せてくるのと同じです。

結局、そういう側面に生きていくことも多いのですが…

最近、考えたんですが

確かに、人は不安の側面に触れながら生きていくんでしょうけど、その一方でそうでない一面もあると思うのです。

例えば、やりたいこと。

宿題以上に、仕事以上に、やりたい事って沢山あると思います。

そっちの面は不安とは全く接しない面じゃないですか?

ただただ、ワクワクしたり。ただただドキドキしたり。

自分に没頭出来たり、リラックスできたり、そういう側面(やりたい側面)もある訳で、一方でそういう部分をもっとやるという事でもしかしたらその不安面もよくなるのでは無いか? と、最近思ったりしています。

不安面 と やりたい面 と 自分のマインドセットや体験軸で支える土台面、その三角形で自分を整えていけはいいのです。

何かをやり遂げようとしたら、いつも不安がど真ん中に来ると思ってて、そりゃ見えてないもの、決まってないことをやろうとするとこの三角形のど真ん中の軸は不安だと思っています。

右下の自分がもしこれをやめれば、この山は崩れ去り、目標達成、良い成果や結果には自分自身は触れれないけど、不安からも逃げられます。

勿論、それを自分だけで支えるのではなく、信頼できる仲間であるとか、誰かと支え合うことで不安の土台は崩れなくなりますね。

その上、積み上げられるものこそが自分が自分たちが辿り着きたい場所になるんじゃないかな? と、思っています。

だからこそ、この不安と接した面だけになっては行けないということです。

全く何も接してない面、それを支える面こそがある意味大事になって行くのです。

こんな感じで、不安にも向き合わず、誰かと信頼関係も築けず、自分のやりたい事もせず、土台も小さければ、そこには辿り着けないし、この目標達成の山は造れません。

先ずは、不安と向き合い、仲間を信頼して、自分の土台を強固にしていく。

不安と接している面では、解像度高くして課題を認識し、自分が出来ることを仲間達と支え合うこと。

そして、底辺面では、健康第一で、生活面、睡眠やご飯、リラックスしたり、自分自身を自分で支えれること。

逆側の面は、それこそ何にも接してない面です。

そう、あなたの自由な部分です。

好きなことやりましょう。

旅行でもいいし、美味しいもの食べ歩くでもいいし、好きな服を買うのでもいいし、色んなアクティビティにチャレンジするのもいいでしょう。で、色んな体験をして、色んな知識を得て、色んな感動を味わいましょう。

そう、実はその底辺麺とフリー面こそが、僕は大事だと思ってて、この二つが大きく強かったら、不安面に向き合うこと、支えることなんて簡単じゃないですか? 分かりやすく言うと、この二つの面が大きかったら? 仲間との信頼が強かったら、不安な三角なんて簡単です。

多分ですが、土台の信頼と自分の三角が大きく強かったら、不安の三角を引っこ抜いても支えることか出来ると思うのです。

接地点だけで左右の三角形だけで、目標の三角形も支えれると思います。

勿論、そのためには信頼との接地点が強く支え合うことですが…

そんなことを最近考えて、自分自身も少し気持ちや思考が整理出来ました。

自分の三角の不安との接地面だけが全てと思っていましたが、よくよく考えるとそれは自分の人生の一つの面であり、夏休みの宿題も大事ですが、夏休みはそれだけではなく、他にやりたいことをやることも大事じやないですか?

そして、それが夏休みの絵日記にも繋がるし、体験したことは記憶に残り、いつか違う側面が訪れた時に活かせるものになっているかもしれません。

そう、必要とされる時の為にも、蓄積して行った方が良いのではないか?と、思うのです。

今ある不安もあるでしょう。勿論、そこにはしっかりと向き合いましょう。

でも、それだけになってしまっては、その向き合い方も変わるよね?

って、話でした。

なんか、長々となってしまいましたが、今度また書きますね。

ではでは