成果を求めない限り成長は無い

こんにちは、中嶋です。

1月も、そろそろ終りが見えてきました。1年のスタートを皆さんどんな感じで切りましたか?

チームで言うと、九州フットサルリーグ1部のエスタジ佐世保はとても難しかったシーズンを1部残留と言う形で終えました。

今月末に最後の選手権がありますが、3勝すれば全国大会と言う状況です。

最後の最後まで、新型コロナウイルスの影響を色々と受けそうですが、出来る力を発揮していきたいと思います。

さて、タイトルの成果を求めない限り成長は無い

って話しを少ししたいと思います。

チームスポーツは、それが公式戦だろうと公園での草サッカーだろうと、昼休みのゲームだろうと、試合に勝つと言う成果の為に力を合わせます。

自分たちが出来る技術や戦術、戦略的なもの、沢山のものを駆使して、チームの成果の為に発揮します。

その中で、自らが持つ力が足りないと成長しなくてはいけない事に気付きます。

もっと、技術の精度をあげようとか? もっと走れるようになろうとか? もっと戦術的な理解を深めようとか? 成果を出したいからこそ成長をする機会を得るのです。

でも、成長をする為だけの機会だとその場を捉えたら?どうでしょうか?

成長だけの為の機会だと、何が成長しなければいけないものなのか? 理解が難しくなると思うのです。

良く、ベストを尽くすとかありますけど、それなんて当たり前のことでチームスポーツのベースはそのゲームに勝つことで、そのために色んな持っているものを出し尽くせるのか?ってのではなく、出した後にその成果がチームにもたらすことが出来たのか? そこにフォーカスしないといけないと思うのです。

仕事も同じで、会社から給料を貰うのはその時間にそこに居るからではなく、会社自体に成果をもたらす為にそこに居るのですし、その社員の成長だけの為にお給料を与えると言うことではないと言うことです。

社会も同じで、誰かからその対価を貰うということは、その成果を出すこと、少なくともそこにそり成果に近い形での何かを与えることが大事で、そのために成長していく事だったり自分自身がアップデートすることだったりすると思うのです。

監督としては、成果は一番だし、その成果を求めていく中から選手やチームの成長に繋がっているのか? ここを常にクリティカルに見つめないといけないし、逆に自分自身評価が出来るような客観的な視点を持つことも大事です。

勿論、スクールや育成年代では、その成果を発揮するための術を知らないわけで、成長と成果の両輪をうまく回し続けていくことが大事だと思います。

それでも、チームゲームなので2vs2だろうが、3vs3 だろうが、そこのゲームの中でどう勝つのか?その成果を出し続けていこうとするマインドこそが、成長マインドセットと僕は呼んでいる成長し続けるメンタリティの基礎を創り出すのだと思っています。

なので、育成年代だろうと、そこにあるゲームに勝つと言う成果を出そうとする環境創りが大事なんじゃないかと!!

それは勝利至上主義とかではなく勝とうとする成果に向き合わせることで、成長出来るような空間を生み出していくことが大事だなぁと思います。

だから、選手全員にその成果を出す為に戦術、戦略的なタスクを与え、そういう機会を感じ得ないといけないと思うのです。

自分自身が成果を出すために何が出来るのか?

そういう機会を与えない事で得られないことこそ、成果を出す機会を発揮できない選手になってしまい、将来的には損失になります。

そう思うと、ブラジルで遊びのサッカーに何回は混ぜてもらったことあるけど、みんな本気だし、そこのゲームに勝とうとする熱量が半端なかったのも確かで、遊びだから買っても負けてもどっちでも良いではなく、遊びだからこそ成果を出したいと言う文化や環境の差は大きいなぁと感じます。

日本は良くも悪くも、成果の本質に向き合わない事があります。

でも、成果こそ最も評価されるべき指標で、成果があるからこそそこに対しても成長も評価されるんじゃないかな?と思うのです。

全く売れてないAppleの時にスティーブ・ジョブズなんてみんな見向きもしないけど、これだけのイノベーションにも繋がる成果を出した後では、もう後々の歴史の教科書にも載るような人物になると思うのです。

そりゃ、僕らが出来る事なんてそれほどの成果は出せないかもしれないけど、自分自身が出したい成果にもう少ししっかりと向き合うことで、自分自身もう少し成長出来る、いや…しなくてはいけない状況を生み出すと思うのです。

例えば、マラソンを完走したい。と言う成果を達成するためには、もっとトレーニングしなきゃいけないし、このチームを優勝させたいのであれば、もっと成長しなきゃいけないし、その成果のレベルに応じて、人は成長をし続けなきゃいけないのです。

逆に、成果がそれぐらいで良いのであれば、それぐらいの成長… いや、成長すらしなくても良いのかもしれません。

僕がB’zの仕事が出来たのは、18才の時にシーケンサーと言う機材を使いこなせたからだと思います。でも、そのために使った時間とお金は当時高校生が過ごしていたようなものでは無かったと思います。みんなが遊んでいた時に、夜な夜な機材に向き合って打ち込んでいたし….成果を出すための時間投資をやっていたということです。B’zの仕事で言うと、コンサート全ての楽曲の打ち込みが出来るから任されたわけだし、そこで初めてその機材を使えるようになる成長の為ではありません。成果が出せるから仕事が与えられたのです。そして、その成果をより良くしていくためにもっとその機材や違う機材についても学ばなきゃいけなかったし、更に自分自身がより良くなっていかないとその求められる成果を出すことが出来ないと言う環境の中に居たんだと思います。

評価されるべきは、成長しようとする事ではなく、成果だし。

成果が求められない限り、成長には繋がらないんじゃないか?と、最近よく思います。

勿論、その成果には様々な価値観があるし、その成長にも個人差があるし、でも、チームとして社会として、その組織の中で求められる成果に向き合っていくからこそ、そのチームで勝つことだったり、何かを達成することだったり、その成果で誰かが喜んだり、成功したり、より良い影響を与えることが出来たり、そんな機会を感じ得ることが出来たら…

自分自身が生きていくと言う価値にも繋がるんじゃないかな?

と、思っています。

成果を出す為に、成長への試行錯誤が出来るのか?

そこに、人としての在り方が問われるんじゃないでしょうか?

そりゃ、全てが成果として手に入るわけではありません。

努力しても手に入らない成果もあるでしょう。

でも、あなた自身がその成果を感じたいのであれば、その成果に見合う成長をしなけゃいけないと言うことです。

勝ちたいのであれば、勝者としての成果と成長を

だからこそ、僕も成果を求めれる環境、自分自身が成長出来る環境を創り出したいなと最近思っています。そんなに若くもないし、時間も限られているだろうし、自分自身で切り開いて手に出来る成果を追い求めていきたいと思います。